スティーブ・シュワルツマンの著書『What It Takes: Lessons in the Pursuit of Excellence』(邦題:『ブラックストーン・ウェイ PEファンドの王者が語る投資のすべて』)は、「小さなことも大きなことも、やる労力は変わらない。だから大きなことをやれ」という一文に集約される。フィラデルフィア郊外のリネン店で育った少年が、400,000ドルの自己資金から世界最大級の投資会社ブラックストーンを築き上げるまでの全軌跡を辿りながら、仕事と人生における25の原則を提示する。単なる成功譚ではない。600回以上の投資家からの拒絶、初期投資で全額を失った屈辱、金融危機の渦中での決断——失敗と逆境の中から鍛え上げられた哲学が、本書の真の核心である。2020年の日本語版は即重版となり、2025年には孫正義による序文と「日本なくしてブラックストーンなし」という著者前書きを加えた増補版が刊行された。
「大きく考えろ」——すべての出発点となる野心論
シュワルツマンの哲学は、彼が繰り返し語る一つの確信から始まる。「小さなビジネスを始めるのも、大きなビジネスを始めるのも、苦しさは同じだ」。資金調達の困難さ、適切な人材の確保、精神的・経済的な消耗——いずれも規模に関係なく起業家を襲う。ならば、人生を賭けるに値する巨大な目標を選ぶべきだ、と彼は断言する。
この思想は具体的な行動に直結した。共同創業者のピート・ピーターソンが最初のファンドを5,000万ドル規模で提案したとき、シュワルツマンは10億ドルを主張した。当時としては前代未聞の初回ファンド規模である。「どちらにしても同じ投資家に会いに行くのだから、大きく行くべきだ」。結果として488の投資家にピッチし、33社から資金を獲得した。
新たなビジネスを始める前に、シュワルツマンは3つのテストを課す。第一に、その事業は人生を賭けるに足る規模か。第二に、ユニークか——人々が「まさにこれが欲しかった」と思うものか。第三に、タイミングは正しいか。「世界はパイオニアを好まない。早すぎれば失敗のリスクが跳ね上がる」。この三条件を満たさない限り、どれほど魅力的に見えるアイデアでも見送るべきだと説く。
彼はMIT学長から「我々はレーダーの下を飛ぶのが好きだ」と言われた際、こう返した。「私はレーダーの上に生きるのが好きだ」。これは単なるレトリックではなく、彼の全キャリアを貫く行動原理そのものである。
25のルール——仕事と人生を貫く原則体系
本書の末尾に収録された「仕事と人生のための25のルール」は、シュワルツマンの数十年にわたる経験から蒸留された行動指針であり、日本語版では巻末付録として収録されている。以下にその全体像を示す。
思考と志の原則として、ルール1「大きく考えろ」、ルール11「自分自身より大きなものを信じろ」、ルール16「誰も追求していない巨大な機会を見つけたら、躊躇するな」が並ぶ。これらは野心の方向性を定めるものだ。
学びと成長の原則では、ルール2「最高の経営者は生まれつきではなく、つくられる。学びを止めるな」、ルール7「若いうちは名声より学びの急勾配がある仕事を選べ」、ルール22「失敗は最良の教師である。失敗をオープンに語り、客観的に分析せよ」が中核をなす。
意思決定と行動の原則として特に重要なのが、ルール13「大胆であれ。他者が慎重なときにリスクを取り、全員が凍りついているときに行動せよ——ただし賢明に」、ルール17「成功は稀有な機会の瞬間に帰する。常に開かれ、警戒し、掴む準備をしておけ」、ルール18「時間はすべての取引を傷つける。交渉では全員をテーブルに留めろ」、ルール19「金を失うな!!! リスクを客観的に評価せよ」、ルール20「自分の準備ができたときに決断せよ。他人の都合で決めるな」である。
人間関係の原則では、ルール3「尊敬する人に手紙を書け、会いに行け」、ルール4「人にとって最も興味深いのは自分自身の問題だ。他者の問題解決を考えろ」、ルール10「窮地の人は自分の問題に集中しがちだが、答えは他者の問題を解決することにある」、ルール24「善い人のそばに立て、たとえ全員が離れていっても」、ルール25「すべての人に夢がある。他者の夢の実現を助けよ」が核となる。
組織と人材の原則として、ルール5「すべてのビジネスは閉じた統合システムだ。各部分がどう機能し、相互にどう関連するかを理解せよ」、ルール6「情報はビジネスで最も重要な資産だ。パターンと異常を競合より先に見つけよ」、ルール9「一人でどんなに賢くても全ての問題は解決できない。だがオープンに語り合う賢い人々の集団なら解決できる」、ルール14「決して現状に満足するな。組織は想像以上に脆い」、ルール23「10の人材を採用せよ。彼らは問題を察知し、解決策を設計し、指示されずとも事業を新しい方向に導く」が並ぶ。
そしてルール12「正と不正の感覚から決して逸脱するな。誠実さは議論の余地がない」、ルール21「心配することは能動的で解放的な活動だ。適切に向ければ、リスクの言語化と回避行動を駆動する」——この2つは、シュワルツマンの人格の根幹を表すルールである。
リスクとの向き合い方——エッジコム・スチールの教訓
シュワルツマンのリスク哲学は、ブラックストーン史上「最も重要な取引」と呼ぶ大失敗から生まれた。1989年、設立間もないブラックストーンの3件目の投資として、鉄鋼流通企業エッジコム・メタルズの3億3,000万ドルのレバレッジド・バイアウトを実行した。社内では二人のパートナーが真っ向から対立した。推進派は大きな利益を約束し、反対派のデイヴィッド・ストックマンは「在庫利益に依存しているだけで、破滅する」と警告した。38歳のシュワルツマンは「自分はソロモン王だと思った」——しかしそうではなかった。推進派に賛同し、投資を決行した結果、鉄鋼価格は暴落し、投資元本の100%を喪失した。
ある投資家はシュワルツマンをニューヨーク州ナイアックのオフィスに呼びつけ、「お前は私が会った中で最も愚かな人間だ」と怒鳴りつけた。シュワルツマンは顔が熱くなり、涙が出そうになったと述懐する。しかしこう自分に言い聞かせた。「それは完全に正当だ。彼の金を失ったのは私の責任だ」。タクシーに乗り込む際、彼は誓った。「二度とこの立場には立たない」。
この経験がブラックストーンの投資プロセスを根本から変えた。シュワルツマンはウォール街で最も厳格な投資委員会制度を構築した。第一に、投資提案書は会議の2日前までに全員に配布される。「チャートを素早くめくって相手を煙に巻くような人間は金融界に溢れている。だからそのショーを止めなければならない」。第二に、最ジュニアのアナリストから最シニアのパートナーまで、全員が発言を義務付けられる。第三に、リスク要因ごとに確率を割り当て、リスク間の相関関係を分析する。「一つが悪化すれば、別のリスクも連鎖的に悪化することがある」。
彼のオフィスの窓際には、エッジコム取引の記念プレートが今も置かれている。通常は白地のところを黒地にした「墓石」だ。毎日目に入るよう意図的に配置している。「成功からはそれほど多くを学ばない。だが失敗からは——失敗の理由を徹底的に分析すれば——組織の方向を変える力が得られる」。
市場サイクルの読み方についても、シュワルツマンは7回の景気後退を経て独自の法則を構築した。市場がピークに達する兆候として、買い手が「今回は違う」と信じ始めること、格安の債務資本が溢れてレバレッジが10倍以上に達すること、「知人が次々と金持ちになり始めること」を挙げる。逆に底値での投資については、「ほとんどの投資家は早すぎる買いをし、景気後退の深刻さを過小評価する」と警告し、底値から10%回復してから買うことを勧める。
リーダーシップ論——「システムが英雄に勝る」
シュワルツマンのリーダーシップ哲学は、「個人の英雄主義ではなく、制度とシステムが持続的な成果を生む」という確信に基づく。エッジコムの失敗以降、彼は意思決定を徹底的に「非個人化」した。取引チームが投資委員会に「売り込む」のではなく、全員が「取引の致命的な推進要因を特定する集合的な責任」を共有する体制を築いた。
人材に対しては明確な等級制度を持つ。6や7の人材は「石の手」を持ち、ボールが跳ね返る——彼らを残せば経営者がすべての仕事を抱え込む。8は「言われたことをやる」。9は「実行力があり優れた戦略を立てる。9の集団で勝てる組織は作れる」。しかし10は「指示されずとも問題を察知し、解決策を設計し、事業を新しい方向へ導く。10は常に雨を降らせる」。シュワルツマンは10の人材には50対50のパートナーシップを与え、新事業の構築を任せた。この仕組みがブラックストーンをM&Aアドバイザリーからプライベートエクイティ、不動産、クレジット、インフラへと拡張させた原動力となった。
文化の構築にも執念を注いだ。毎週月曜朝8時半の全社会議では、経済、政治、各案件の進捗が共有される。最ジュニアの社員も参加可能であり、これは「透明性、平等性、知的誠実さへのコミットメント」の表れだとシュワルツマンは説明する。COOとして迎えたトニー・ジェイムズは360度評価を導入し、物理的に壁を取り払ってガラス張りのオープンオフィスを作り、「規律と秩序」をもたらした。シュワルツマンがジェイムズを選んだ決め手は、彼が「自らの資金を賭けて会社の立場を守った、唯一の記憶に残る人物」だったことだ。
卓越さの定義も独特である。「ブラックストーンでは100%がすべてだ。ミスは許されない。学校では95%でAが取れるが、ここでは5%の未達が投資家にとって巨額の損失を意味する」。新人アナリストへの講話では、長期的な視点で信用を築くことの重要性を直接語る。「偉大な信用を得るためには、長期的に考えなければならない。フィラデルフィア郊外で育った頃から——正直さ、勤勉さ、他者への敬意、約束を守るという中流階級の価値観に忠実に——私は信用を築いてきた」。
失敗と逆境——ブラックストーン創設期の試練
エッジコムの惨敗に加え、ブラックストーンの創業期そのものが壮絶な逆境の連続だった。シュワルツマンとピーターソンがリーマン・ブラザーズを去り、1985年に40万ドルの自己資金でブラックストーンを設立したとき、二人は投資銀行界の頂点にいた人物だった。しかし新会社への反応は沈黙だった。シュワルツマンは400通以上のパーソナライズされた手紙をあらゆる人脈に送った。電話はほとんど鳴らず、鳴っても「幸運を祈る」という挨拶だけだった。
ウォール・ストリート・ジャーナルがブラックストーン設立の一面記事を予定していたが、掲載前日に古巣のシアソンが圧力をかけ、記事は潰された。シュワルツマンは日本料理店に一人座り、めまいを感じながら「すべてにおいて失敗している」という恐怖に襲われた。最初の顧問料収入は製薬会社スクイブからのわずか5万ドル。意味のある報酬が入ったのはE.F.ハットンの合併助言で得た350万ドルが最初だった。
ファンドレイジングでは「恐ろしく屈辱的な拒絶の連続」が待っていた。全米を横断してアポイントに向かったのに相手が現れないこともあった。よく知る権力者から門前払いされることもあった。ピーターソンの存在が救いだった。「彼は60歳で、失敗を嫌う人だった。だが同時に、忍耐と平静さを持っていた。彼は私を支え、こう言い続けた——『信じることをやっているなら、圧倒されようとも、前に進み続けなければならない。たとえ絶望的に感じても』」。突破口はプルデンシャルの投資責任者が1億ドルのコミットメントを決めたことで開かれた。
もう一つの重要な「失敗」は、マイケル・ブルームバーグがブラックストーンに資本参加を求めてきた際に見送ったことだ。当時のブラックストーンの投資パラダイムに合致しなかったためだが、ブルームバーグの資産は後に約480億ドルに達した。しかしシュワルツマンはこの痛恨の機会損失から学び、既存カテゴリーに収まらない特殊な投資機会を追求する「タクティカル・オポチュニティーズ」ファンドを創設した。このファンドは270億ドル以上の規模に成長した。失敗がイノベーションの触媒となった典型例である。
人間関係の哲学——「電話交換機」になれ
シュワルツマンは自分の理想像を「多数の入力で溢れた電話交換機」に例える。異なる世界の人々、アイデア、機会を結びつける不可欠な結節点となること——これが彼のネットワーキング哲学の核心だ。数十年にわたるこのアプローチの結果、彼はこう振り返る。「私の別々の世界が大きくなるほど、それらは重なり合うようになった。一生をかけて他者の話を聴き、関係を築き、どう助けられるかを常に問い続けてきた結果、最大の課題と最良のアイデアが今では向こうからやってくる」。
その根底にあるのは徹底した傾聴と利他の精神である。「私は手持ちの商品を売ろうとはしなかった。聴いた。相手が何を望み、何を考えているかを待ち、それを実現することに取り組んだ」。会議ではほとんどメモを取らない。相手の言葉とその言い方に全神経を集中させる。「多くの人が失敗するのは、自己利益の立場から出発するからだ。『これで自分に何が得られるか?』。そういう人は最も面白く、やりがいのある仕事にたどり着けない」。
日興証券との提携は、この哲学の結晶だ。1980年代後半、ブラックストーンのファンドレイジングが難航する中、シュワルツマンは日興証券を訪れた。日興側は英語もM&Aもほとんど理解していなかった。しかしシュワルツマンは相手の問題を解決することから始めた。日興が米国M&A市場への参入を望んでいることを察知し、日興が日本企業を連れてきればブラックストーンがM&A業務を担い、収益を折半するという創造的なジョイントベンチャーを提案した。条件として日興にブラックストーンのファンドへの投資を求めた。日興は1億ドルを出資し、これが呼び水となって日本からの投資総額は3億ドルを超えた。シュワルツマンは2025年の東京でのイベントで「日本がなければ、ブラックストーンは存在しなかった」と語っている。初期の日本資本で行ったLBOは15年間で26倍のリターンを生んだ。
若きシュワルツマンがサリーメイのIPOでハーバード大学の財務担当者ジョージ・パトナムを訪ねた際のエピソードも印象深い。緊張して精巧なプレゼンを始めようとしたシュワルツマンに、パトナムは「やり直しましょう」と言った。「こう言いなさい——『パトナムさん、あなたはハーバード大学の財務担当で、私は米国最大の学生ローン事業を始めます。あなたの出資額は2,000万ドルです』。さあ、言ってごらん」。シュワルツマンがそう言うと、パトナムは「素晴らしいアイデアだ。2,000万ドル出そう」と即答した。「投資家は常に優れた投資先を探している。彼らにとって容易にしてやれば、全員にとって良い結果になる」——このセールスの根本原則を、シュワルツマンは生涯守り続けた。
具体的エピソードと名言が映す人間像
シュワルツマンの人生を形づくった具体的なエピソードは、本書の随所に鮮やかに描かれている。
レーマン・ブラザーズ入社直後、シュワルツマンは最初の大きな仕事として長大なレポートを書き上げ、パートナーのハーマン・カーンに提出した。3時間後に電話が鳴った。「ハーマン・カーンだ。スティーブ・シュワルツマンか?」「はい、カーンさん」。「お前のレポートを読んだ。43ページにタイプミスがある」。電話はガチャンと切れた。それがカーンからの唯一のフィードバックだった。金融の世界では100%の正確さ以外は許されない——この教訓を叩き込まれた瞬間である。
29歳でトロピカーナの488億ドルの買収案件(当時世界第2位のM&A取引)を成功させたとき、著名な銀行家フェリックス・ロハティンから電話が来た。「スティーブ、おめでとう。君は大人の世界に入った。ここからの義務は——何か正しくないことを見たら、声を上げろ。何かを書け。恐れるな」。
DLJ(ドナルドソン・ラフキン・ジェンレット)での初職では、年俸1万ドルの提示に対して「1万500ドルが必要だ。なぜなら同期で1万ドルをもらう人がいると聞いたから、私がクラスで最高給でありたい」と交渉し、500ドルの上乗せを勝ち取った。わずか6ヶ月後の退職面談で、ビル・ドナルドソンはこう言った。「私が君を雇ったのは、いつか君がこの会社のトップになるという直感があったからだ」。
陸軍予備役では、自分の中隊の食事が劣悪であることに気づき、大佐に直接直訴した。調査の結果、若い将校が食料を横領していたことが判明し、彼らは排除された。「権力者に真実を語る」——この姿勢は彼の一貫した行動パターンだ。ハーバード・ビジネス・スクールの学生時代にも学部長に改善提案をしようとしたが門前払いされ、「いつか自分が組織を率いるなら、誰もが私に会えるようにし、どんな困難な状況でも常に真実を語ると誓った」。
本書を貫く名言の中でも、特に響くのは次の言葉だろう。「成功するためには、自分がいるべきでない場所に身を置かなければならない。自分の愚かさに首を振る。だが純粋な意志の力で、世界をすり減らし、世界は望むものを与えてくれる」。そして、「逆境に直面したときに示す回復力——逆境そのものではなく——こそが、人間としてのあなたを定義する」。
結論——「つくられる」ことの意味
本書の冒頭は「最高の経営者は生まれつきではなく、つくられる」という宣言で始まる。この「つくられる」というプロセスこそが、シュワルツマンの全哲学を統合する鍵だ。彼は失敗を制度設計の原材料として扱い、エッジコムの全損から投資委員会制度を、ブルームバーグの見逃しからタクティカル・オポチュニティーズを、600回の拒絶から不屈の営業哲学を鍛造した。日本の読者にとって特筆すべきは、ブラックストーンの存亡を左右した日興証券の1億ドルの出資という歴史的事実であり、シュワルツマン自身が「日本なくしてブラックストーンなし」と明言している点である。25のルールは抽象的な格言ではなく、具体的な失敗と成功の中から蒸留された行動規範であり、その最も重要な教訓は——卓越とは到達点ではなく、失敗から学び続ける終わりなきプロセスである——ということだ。